今週のお題「最近おもしろかった本」
つい先日、大学4年生の娘から…
この本、共感できる考え方が多くておすすめだよー☺️
とLINEが届き、読んだ一冊です。
哲学好きな娘らしい一冊。笑
私とは何か
「個人」から「分人」へ
平野啓一郎 さんの著書です。
娘から勧められた本やTVドラマに、今までハズレはないので、今回も即買いしようと思ってAmazonをポチりましたところ…
Audible版の聴き放題対象書籍にあり、早速一気読みならぬ一気聴きしました!
そして、聴いただけでは飽き足らず…
結局購入した一冊です!
日常のいろいろな場面で、居心地の悪さを感じたときに、「場の空気」に合わせたキャラを演じることで、その場を切り抜ける。
そうしてあとで、あれは「本当の自分」じゃないんだと言い聞かせる。
じゃあ「本当の自分」とは?
一体何をもって「本当」というのだろう…
人間にはいくつもの顔がある。
ーーー私たちは、このことをまず肯定しよう。
相手次第で、自然と様々な自分になる。
それは少しも後ろめたいことではない。
人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人」ではない。
複数の「(分割可能な)分人」である。
「分人」は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。
そして、関係性の中でも変化し得る。
何年も経てば、出会った頃とは、お互いに口調も表情も変わっているだろう。
他者と接している様々な分人には実体があるが、
「本当の自分」には、実体がない。
ーーーそう、それは結局、幻想にすぎない。
そして、「分人」はすべて「本当の自分」である。
あなたは他者と接している時に、
「これは本当の自分ではない」
と思うことはありませんか?
接する相手ごとに自分の中には様々な顔があり、相手によっては
「本当の自分を出せていない」
と感じることが、私にはよくありました。
それが自分自身に対する違和感として、ずっと心の中にあったような気がします。
「Aさんと会っている時の自分は、自然体で冗談を言いながら会話も弾む」
「Bさんと一緒にいる時の自分は、穏やかで心優しい気持ちが湧き起こってくる」
「Cさんと接する時の自分は、構えてしまい本当の自分が出せない」
Aさん、Bさんと接している時の自分は心地よく感じていますが、Cさんと接している時の自分は決して居心地がよいとはいえない。
そう、Cさんと接している時は「本当の自分」を出せていないから…
そんな自分は好きになれないし、そんな自分を見たくないから…
Cさんとはできれば接したくありませんでした。
私にとっての本当の自分とは
「居心地のよい自分」
限定でした。
平野さんは本書の中で、
「たった一つの本当の自分」
というものなど存在しない。
対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて
「本当の自分」
である
と言っています。
職場での自分、家族における自分、友人と一緒にいる時の自分など、口調やしぐさ、態度はまったく違っても、これらはすべて自分であり、
こうした対人関係ごとの様々な反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されてゆくパターンとしての人格を、
平野さんは「分人」と呼び、
この分人の集合こそが「自分」であると言っています。
そして、
人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。
しかし、誰それといる時の自分(分人)は好き だとは、意外と言えるのではないだろうか?
逆に、別の誰それといる時の自分は嫌い だとも。
そうして、もし、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。
と言っています。
私自身は、自分の中の複数の「分人」すべてが「本当の自分だ」と認められたことで、
さらに、どんな自分自身をも受け入れることができるようになれた気がします。
Cさんと接している時の自分も「本当の自分」
そう思えたことで不思議と、Cさんと接することがさほど苦痛に感じなくなりました。
さらに平野さんは、
「自分が好きな分人」でいられる時間を長く持てることが、幸せにつながることであり、
それが自分らしさを生み出すことにもつながる。
と言っています。
「居心地の良い分人」をどう見つけていくか…
あなたは誰と一緒にいる時の自分が一番好きですか?
居心地の良い自分を見つけたとき…
その相手に対する「愛」を感じるのかもしれません…
一緒にいて居心地がよいと思える人との時間を、大切にしていきたいですね♪
そんな風に思える人が1人でもいい、そばに居てくれたなら、それ以上の幸せはないのかもしれません✨
SNSなど情報技術の発達によるコミュニケーションの多様化が進み、否応なく人と人とのつながりが移りゆく中で、今大切にしたい「分人」とは何かを、
改めて考え直すきっかけをくれた1冊となりました🌟
最後までお読みいただき、ありがとうございます💓