今日はこちらの書籍から…
「死にたくない」から「死ねない」の時代…
「死ねない老人」には2つのパターンがある、というお話です。
日本は現在、世界でもトップクラスの長寿大国となり
2021年の平均寿命は、
男性 ・・・ 81.47歳
女性 ・・・ 87.57歳
で、いずれも過去最高を更新しています。
戦後すぐの1947年の平均寿命は、
男性 ・・・ 50.06歳
女性 ・・・ 53.96歳
ですから、わずか70年の間に30~40年も寿命が延びているわけです。
また、100歳を超える百寿者も約9万人に上ります。
100歳以上の人口はこの50年で220倍以上になっており、100歳を超えてもなお、お元気な方々がたくさんいらっしゃいます。
ひと昔前の「人生50年」をはるかに超え、世界のどの国よりも早く「人生90年、100年」という時代に突入しているのが今の日本です。
しかし、その一方で見過ごされがちなのが、
「自身の長寿を喜べない高齢者が増えている」
という事実です。
なかでも杉浦先生が日々診療していて感じられているのは、
家族や周囲に「死にたい」と漏らす高齢者が目立つようになっている
ということだそうです。
高齢になり、複数の病気を抱えたり介護を受けるようになったり、
経済的な不安を抱えたり社会的に孤立してしまったり…
そういった問題があり、死を待ち望む心理に陥るのは理解の範疇かもしれません。
ところが現実には、大きな病気もなく、経済的にも家族関係にも恵まれている人であっても、
「死にたい」という思いに駆られる例が少なくないのだそうです。
それは一体何故なのでしょうか…
生きる喜びや希望を見いだせず、いつ来るかもわからない死を待つばかりの人生...
それはおそらく相当な苦痛となることでしょう…
また「死にたい」というつぶやきを何度も聞かされる家族にとっても、
精神的な負担となることは想像に難くありません。
さらに、社会全体に目を向ければ
「本人の意思に反して生かされている」高齢者
もかなりの数に上ります。
これが「死ねない老人」のもう一つのパターンです。
延命治療を望んでいない高齢者でも、ひとたび容体が悪くなって病院へ運ばれれば、そのまま延命治療が施されるケースが多々あります。
私が勤めている高齢者施設においても、ほとんど意識がなく、意思表示もできないかたに対し、胃からチューブで栄養を入れ、ただただ生かされているということが実際に行われています。
本人が望む医療や最期のあり方を選べず、ただ医療技術で生かされているだけだとすれば、それは幸せな長寿とはかけ離れたものでしょう。
社会の高齢化に伴い、医療や介護、社会保障といった高齢者を支える側の問題ばかりが議論されてきましたが、そのなかで肝心の高齢者自身の気持ちが置き去りになってきたのではないか、
ということです。
それが
「生きていたくないが、死ぬこともできない」高齢者 や、
過剰な医療で「死ねない」高齢者
を大量に生み出している…
では、高齢者が人生の集大成ともいえる時期を、充実して生きるためには何をすべきなのか。
また、高齢者本人の意思が尊重される医療や最期を叶えるために、家族や社会で行える対策にはどんなものがあるのか。
長く家族や社会を支えてくれた高齢者に
「死にたい」と思わせない社会、
誰もが長寿を心から喜べる社会、
にするためにはどうしたらよいのか…
人生の終わりの「死」はすべての人が必ず経験するものです。
最先端量子科学の世界では「死は存在しない」といった、新たな仮説もでてきているようですが…
肉体としての死を迎えるまでの時間が長いか短いかはわからなくとも
「どう生きて、どう終えるか」
を、誰もが一度は真剣に考えることが必要な時代が来ているのではないでしょうか…
「死にたくない」という、生に対する執着とも思える感情を持てることは、一つの幸せと考えることもできるのかもしれません。
それには些細なことでもいい、生きる喜びを感じることのできる在り方を見つけること…
まずは
「ただ生きているだけで価値がある」
と思える自分になること。
そして、大切な人から
「側に居てくれるだけでいい」
と言われたなら、
それが何よりの「生きる喜び」になるのかもしれません🌟
今日もお読みいただき、ありがとうございます🌸