今週のお題「わたし○○部でした」
懐かしい思い出とともに、今の気持ちをしたためておきたいと思います。
よかったらお読みください💓
私は中学、高校と吹奏楽部でした。
きっかけは…
私が通っていた小学校には、いわゆる鼓笛隊といわれる金管バンド部があったのですが、
運動会などの行事で必ず披露される「宇宙戦艦ヤマト」の行進曲の演奏を聞くたびに、「なんてかっこいいんだろう✨」と小学生の私にとっては心が熱くなるくらいの強い憧れの気持ちがありました。
皆がお揃いのユニフォームを着て、トランペットを構える姿に魅了され、どうしてもトランペットを吹いてみたくて…
両親に「自分も鼓笛隊に入りたい!!」と渇望しましたが、残念ながらそれは叶わず…
中学生になり、1年生は全員が部活動に入部するという決まりがあり、私は迷わず吹奏楽部へ…
「これでやっと夢が叶う!」と逸る気持ちを抑えつつ、希望に胸を膨らませながら部室へ…
やりたい楽器の希望はもちろん「トランペット」です。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。。
トランペットは一番人気。
希望者は私以外にも大勢いました。
(確か10人以上いたように思います…)
トランペットに向いているかどうか、マウスピースを使っての選抜テストが行われたのです。
私は見事落選。。。
あまりの悲しさに、その場で泣き崩れたことを覚えています。(恥ずかしい…笑)
そうして私は、希望者が少なかったサックスパートに入ることが決まりました。
しかし私の中では、サックスなんて楽器は鼓笛隊にはなかったし…
トランペットとは全く異なる木管楽器です。
しばらくは納得がいかず、なんとも悲しい気持ちで部活に行っていたことを覚えています。
そんな絶望的な気持ちでの入部だったのですが、顧問のY先生はとても優しく笑顔の素敵な先生で、私の担任の先生でもありました。
「微笑みに勝る化粧なし」
が座右の銘で、その言葉通りいつもすっぴんながら、どんな時も笑顔で、愛と優しさに溢れた先生でした。
私はそんなY先生が大好きでした。
今でも鮮明に、Y先生の温かく優しい笑顔が目に浮かびます。
Y先生の影響で私はより一層音楽が好きになり、吹奏楽の魅力にどんどん引き込まれていきました。
部員全員が心を1つにし、音楽を作り上げるという楽しさを、Y先生は教えてくださいました。
不思議ですが、最初は好きでなかったサックスという楽器も、やればやるほど楽しくなり、いつの間にかトランペットよりも好きになっていました。
そして高校に入ってからも吹奏楽部に…
今度はトランペットではなく、最初からサックスを希望しました。
我が校は県内では一二を争う強豪校の一校で、1年、2年と関東大会へ出場。
県大会の終了直後、関東大会への出場が決まると部長を胴上げする、というのが我が校では毎年恒例となっていました。
3年生になり、私は部長となりました。
強豪校としての自信と誇りを持って、最後の大会も有終の美を飾りたい、部長としての責任を果たしたいと精一杯練習に励みました。
関東大会出場という夢に向かって、明けても暮れても部活動一色の生活でした。
県大会当日、私はそれなりの自信を持って本番に挑むことができました。
すべての学校の演奏が終了すると、そのホールで表彰式が行われます。
各校の部長は代表としてステージに立ち、その場で審査結果が発表されます。
金、銀、銅賞とありますが、金賞と銀賞の聞き間違えを防ぐため、金賞の場合、わかりやすいよう頭にゴールドと付けて発表されます。
プログラム15番、○○高等学校
「ゴールド金賞!!」
という発表と同時に、客席からは部員たちの割れんばかりの歓喜の叫び声が上がりました。
そして、プログラム順にすべての高校の賞が発表されたあと、金賞受賞校の中から関東大会への出場校が発表されます。
しかし、その中に私の高校の名はありませんでした。。
私は目の前が真っ暗になりました。
そして、悔しくて悲しくて…涙が止まりませんでした。
それと同時に…関東大会に進めなかったことに関して、私は部長として深く責任を感じ、部員のみんなに対し申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ですが、そんな私のことを…
大会終了後、解散となる前に「先輩…」と大勢の後輩達が私のところへ駆け寄り、「失礼します!」と言って…
その瞬間私は宙に浮いていました。
予想もしていなかったその出来事に、その時の私は嬉しい気持ちよりも申し訳ない気持ちのほうが強く、何とも複雑な心境だったことを覚えています。
その時の情景を思い起こすと、今は素直に、とても幸せな体験をさせていただいたと感謝の気持ちでいっぱいになります。
それから20年が経ち、娘と息子が通う小学校にも金管バンド部があり、2人ともためらいもなく入部。
演奏会や大会などがあるたびに、子ども達の演奏を聴きたい一心で必ず足を運び、時にはスタッフとして楽器運びなどの裏方作業も行いました。
私は、大好きな吹奏楽にまた関わることができ、懐かしさと嬉しさでいっぱいでした。
大会では本人たち以上にドキドキワクワクし、泣いたり笑ったり…
そして子どもたちの演奏には、いつも癒やしや感動をもらっていました。
娘も息子も私と同じように、中学に入って吹奏楽部へ入部。
高校に入り娘はオーケストラ部に、息子は吹奏楽を続けました。
息子は3年生になると、私と同じように部長となりました。
息子の高校は男子校で、高校からの初心者部員が多く、部員数は他校と比べても多くはなかったので、東関東大会へ出場する事は決して簡単な事ではありません。
県大会の前には合宿なども行い、東関東大会への出場を目標に、毎日遅くまで練習に励んでいました。
時には部長という重責に、息子なりに悩み苦しんでいる様子が、言葉には出さずとも感じられることがありました。
そして迎えた県大会、息子の高校は金賞校の中でもトップの成績で東関東大会への出場権を得ることができました。
1ヶ月後…夢にまで見た東関東大会。
客席から見る部員達の姿は誇らしく、夢の舞台を楽しんでいるようにも見えました。
たった2点という僅差で、東日本大会への出場は叶わなかったものの、東関東大会での金賞受賞は息子の高校では二十数年ぶりという快挙となりました。
私が果たせなかった夢どころではなく、それ以上のものを息子はしっかりと叶えてくれました。
鼓笛隊に憧れ、トランペットを吹くということを夢見て始めた吹奏楽。
トランペットとの出会い、サックスとの出会い、吹奏楽部、そしてY先生との出会いが、今の私のたくさんの幸せに繋がっているように思います🌟
息子は今、他県の音大に進学し、音響や照明など舞台の裏方の勉強をしているようです。
息子の方から連絡をしてくることは滅多にありませんが…
夜遅くまでバイトをしながら、一歩一歩夢に向かって四苦八苦している息子が、苦しいながらもどうか今を元気に…ささやかでも幸せであることを願う日々です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます♪✨